1066年のウィリアム1世の戴冠式の際、TVやスマホがない時代だからこそ起きたこととは。
ロンドンのウェストミンスター寺院で5月6日に行われるチャールズ国王の戴冠式の様子は、数々のカメラによってあらゆる角度から捉えられ、その細部までが瞬時に、世界中にライブ中継されます。そして私たちは、手元のデバイスでその映像を見ることができます。
私たちは現在、そうした情報へのアクセスを「あって当然のもの」と考えています。ですが、ウェストミンスター寺院で初めて君主の戴冠式が行われた当時、市民は内部で何が行われているのか、知ることができませんでした。そして、それは劇的な結果を引き起こすことにつながったといいます。
ヘイスティングスの戦いでイングランド王ハロルド2世を破った“征服王”ことウィリアム1世は1066年、新たな王としてウェストミンスター寺院で戴冠しました。
ウィリアム1世は、自身はエドワード懺悔王から王位を約束された正当な後継者であると考えていました。ウェストミンスター寺院の資料には、「ウィリアム王はおそらく、自身がエドワード王の正当な後継者であることを強調するために、この寺院で戴冠式を行うことを選んだのだろう」と記されています。
ウィリアム王の戴冠式は1066年のクリスマスに、カンタベリー大主教の代理を務めたヨーク大主教によって執り行われました。寺院によると、戴冠式ではフランス語を話すノルマン人たちのために、ノルマンディーの街クタンスの司教ジェフリーが、フランス語で話していたといいます。
そして、寺院のなかにいるノルマン人たちと、英語を話すサクソン人たちが王の戴冠を歓迎して同時に声をあげると、それを聞いた外のノルマン兵たちは、暗殺未遂が起きたと勘違いしたといいます。
彼らは寺院の周辺の家々に、火を放ち始めました。「寺院には煙が充満し、戴冠式のために集まっていた人々は逃げ出し、暴動が発生した」とのことです。
また、『BBC』のウェブサイトには、この“事件”の後、1075年に生まれた歴史家のオルデリック・ヴィターリスの文章を、次のように紹介しています。
「(ヴィターリスは、)恐怖にかられ、煙が充満した寺院から逃げ出そうとする列席者たち、大急ぎで儀式を終わらせようとする主教たち、全身を震わせている新たな王の様子を、鮮明に描き出しています」
このように、この寺院での初の戴冠式は、予定どおりにはいきませんでした。ですが、ウィリアム1世は「イギリスの王と女王はウェストミンスター寺院で戴冠する」という伝統を確立した君主として知られています。
ただ、これについては興味深いことがもうひとつあります。それは、実際には「最初の」戴冠式をこの寺院で行ったのは、ウィリアム1世ではない可能性もあるというのです。
ウェストミンスター寺院によると、その前の王であるハロルド2世が、エドワード懺悔王の死後に戴冠式を行ったと考えられているとのこと。ただ、それを明確に示す証拠は、現在のところ見つかっていないそうです。
イギリスでは1066年以降に即位したすべての君主が、この寺院で頭に冠をいただいています。
From TOWN&COUNTRY